決して、私に撮らせてくれっていう話ではないです。
(そういうと逆に撮りたいんじゃん?って誤解を招くことがあるのが嫌だけど。)
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最近、ずっとずっと。私の写真を好んで撮りに来ていただいているお客さんについて考えています。
なぜ、私のところに来てくれるんだろう。って。
近いから?
安いから?
そんなこと言ったら、来ていただいてるのに無礼なこともわかってるけれど。
多少、リーズナブルでいたい。という思いはある。
私を好きだって言ってくれる人に、重っ苦しくない程度で、気軽に写真を撮りにきてほしいから。
私だって、誰でも撮りたいってわけでもない。
大好きなお客さんがいて、友だちになりたいくらい。(この歳になって、ともだちの作り方がいまいちわからない。)
その大好きになってしまった人たちを自分の世界のなかで撮ってみたいって思ってるのかもしれない。
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私が写真をやってる理由に、素晴らしいスローガン的なものは、
ない。
それが、とても不安なのかもしれない。
こんなんでいいんだろうか、と思う。
かつて、写真を見返したときの、胸が熱くなる気持ち(いわゆるムネアツ)の私自身の体験を、私の被写体(お客さん含む)の方々にも提供してみたい、というスローガン的なものもあったんだけど、今はそんな大それたことをよく言ったものだと思ってる。
写真を手にしたときの気持ちや将来見返したときの気持ちは、私がどうこうするものでもなく、被写体(お客さん含む)の方自身が思うことだし。
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自分の写真をどうしようもないくらいに、嫌だと思う日がある。
その反対に、どうしようもなく好きな日もある。
写真をどんどん好きになってって、どんどん嫌いになってく。
大好きなカメラマンさんの写真を見ては、ときめくし、なんとも言えないうっとりしたため息が出る。
写真にプロアマ関係ないな、とつくづく思う。
だから、夏場の今は、ガングロだ。
紫外線対策しても仕切れないほどに畑の中で撮るしか、できない。
(花と人のポートレート(人物撮影)が見るのも撮るのも異様に好きなのです。)
それを肯定したい。
だけど、それは正解というわけでもない。
儲かり話で撮る人になった人は、真剣に向き合ったほうがいい。
小手先でどうにかしようとしないほうがいい。
買う側の人は、大して大きな違いに気がつかない。
カメラの画素が良くて、前ボケがあったら、いい写真とは限らない。
スマホだって悪くない。コンデジでも一眼でもとにかく画質ってわけじゃない。
わが子を撮るママ自身のほうが感動する瞬間をとらえてることが多いんだってことを、なんかの形にしたい。
その上で、誰が写真を撮るのか。誰に撮ってもらうのか。だと、つくづく思う。
私はまだプロではない。
大好きな人を写す代わりができたらそれで幸せ。それが幸せ。
いつも撮らせてくれてありがとうございます。
やまきたともか
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