うぬぼれるなよ

今の屋号で写真を撮りだしてから1年と少し経つのですけど、やっと線路の上に電車を乗せて動き出した感がある。

1年目だったのとかそういう話は端折るけれど、最近、「なんか人気らしくて撮影会の予約が取りにくい」「なかなか取れない撮影会だ」と言ってもらえるようになった。

それは毎月私の中で継続ワークにしている撮影会で、やめようかと思ったり、やめないでおこうかと思ったりするけれど、尊敬する方がとりあえず続けるということの素晴らしさを体現されてるので続けようと決めている。

(月の巡りで揺らぐ気持ちはあるということでお恥ずかしいかぎり)

 

 

なんでこの撮影会をしているのだろうという目的がぼやけることがある。

確定申告の季節だし、売り上げにシビアにならざるおえないこともあるし、ただ売り上げだけがすべてでもなく、いいと思うからやってるのと、好きだと思うからやってるのと、いい人の巡り合わせがあるから続いてるのと、本当に複雑ないろいろがいろいろで今。

 

これまで定員になるまでに苦労したこともあるし、その時その時にどこをどう工夫してみようかとか考えないわけがなかったし、いつか近い未来、その時の状況に戻って、また出発する・・ということもあり得る。

今の状況にうぬぼれるなよと思う。

 

値段設定が安すぎるんじゃないか、設定を変えてみたらどうか、いや、私はこういう理由でこの値段なんだ、それはお金に対するブロックなのではないか、とかアドバイスもあり、自分でも考えたりする。

けど、この状況で、続けていきたいと思っている。

 

 

それに、撮影会や個人での撮影の時は毎回、前日にアドレナリンが出すぎて引きこもりたくなり、当日もアドレナリンを使いすぎて夕方の子どものお迎えときに魂飛ばしてしまうけれど、

いま、こうやって続けていられるのは、何もわたし個人の仕業ではない。

ほんと、ほんとにうぬぼれるなよ、やし。

 

いつもいつも楽しみにしてますと言ってくれるお客さん。

いつもいつも脳内リプレイしてるぼやきにつきあってくれるあかねちゃん。

受付してくれるあやのちゃん、くみちゃん、えりちゃん、しのぶちゃんに、まいさん。なっちゃん。

事務してくれるたくちゃん。

いまおちごとだからね〜と妹をなだめる長女。

 

 

と挙げだすとありきたりだけど。

いないと、やってけてない。

 

 

 

そういうものかもしれない。

好きなことを好きなだけやるというのは幸せなことで。

そこには好きだけで済ませられないこともあり。

好きじゃなくてもやることもあり。

 

ただ、今は続けるということに精進したい。

続けることで見えてくる世界があるかもしれない。

 

これからも関わってくれる方々に感謝とありがとうとありがとうを心に持つのを忘れないようにしたい。

今日は予約開始日です。

予約が一本もこなかったらどうしようと思わないわけがない。不安だ。

 

 

 

やまきたともか

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山北になれたこと

自分の結婚観についてなので、かなり私の主観です。

日記だから主観なのは仕方がない。

自伝的な武勇伝でもないけど、それに近い。興味あれば読んでね。読んでる人いないと思うけど(ネガティブ)。

 

私は、気づいたときから、跡継ぎだって言われてた。

というのも2歳のときに両親が離婚して、大阪の母方の実家に引っ越しました。

そしたら、ちょうど同じ頃に母のお兄ちゃん(伯父?)が自営していてお客さんを助けるために一緒に亡くなったそうで。だから沖縄にたくさん行ったのは旅行だと思ってたけど、埋葬だった。だから、海には近づいちゃいけないと育った。のは余談。

2歳と1歳の私と妹のお世話で、祖父母は、伯父の死の悲しみに暮れる間もなかったとよく聞いたし、よりいっそう孫が宝物みたいになったんだと思う。

 

それから、私と妹は顔が全く似ていない。

よく世の中のひとが言う似てないレベルは似てるんだと思うくらいに、似ていない。

親戚より似てないんだもん。あ、また余談だった。

 

 

私が母親にクリソツだった。

だから、ものすごくとてつもなく差をつけたように、私は可愛がられた。

だから、祖父母にとって私が跡継ぎになることは希望だったんだと思う。

というのも、ある城の姫の家系だそうで。(知らんがなでしょう?それなのにすんなり姫の末裔でもなくて、おじいちゃんの人生はすごい壮絶で、夫には、どっかのドラマみたいだと言われるくらいで難しい複雑な家系で。余談が過ぎる。)

 

だから、両親が再婚して、思春期に2歳までいた岐阜に戻って来ることになるんだけど、その数年後、大阪の祖父母は大阪の家を売り払ってこちらに越してきてくれた。

それからあるときから、私は看護師になるんだと決められていた。当時手に職ってすごい大事だったのかな。母みたいに一人で生きることになっても(離婚前提なのw)一人で生きれるように。とにかくそれで20年は過ごした。これで大丈夫的な。

 

 

 

それから大学も決まっていて、その時反抗期で両親祖父母に反抗したのが、専門単科大学じゃなくて総合大学にしたことくらいだった。それでも専攻は看護にした。(それしか考えて過ごしてないから他の選択肢は元よりなかった。)

 

看護師の資格を取れば看護師になれると思っていたけど、そんなの取ってからが重要でしょう?

私には叶わなかった。今でも耳にナースコールが残っている。

 

 

そんな時、実家に今の夫と挨拶しに行ったときに、うっかり勢いで「結婚します」的なのを間違えて夫が言っちゃって、その数ヶ月後には婚姻届出していました。

義両親はどんな気持ちなんだろう。

とにかくそのあと、祖父母に2年間会えなくなります。いわゆる絶縁。

よくわからないけれど、私は山北になれてつらくて嬉しかった。

 

 

私は普通のお嫁さんになりたかった。言わなかったけど。

私は夫婦別姓なんて嫌だと思っていた。言わなかったけど。

私が桝谷(母方)で、旦那さんになる人は旦那さんの苗字のままなのがいいんじゃないかという代替案が嫌だった。(両親が再婚してから高校生まで父方の田中だった。大学から戸籍上は母親と姉妹なわけです。)

ともかが桝谷になるのが再婚条件だったとかも抱えきれなかったんだと思う。

お婿さんとるほどのことじゃないと思った、その姓を残す意味を若くて理解できなかったんだと思う。

 

 

山北姓になったのは人生でいちばんの私の反抗だということです。

 

 

だから、やまきたともかです、と今言ってることは、地に足がついた感覚です。

辛くても痛くても嬉しくても楽しくても。責任は私にある。

跡を継いだ人でも責任持って誰かのせいにしたりしないで地に足ついて生きている人はいる。でもそれができないからってダメじゃないと言い聞かせてる。いつか後悔したとしても。

そして、結局、普通のお嫁さんになんてなれてない。

こりゃ、結婚観の話じゃなかったな。

 

やまきたともか

 

友だちになりたい

友だちっていつから友だち?

友だちってどうやって作るの?

 

 

 

 

 

気があって、気付いたら一緒にいることが多くて、いつの間にか友だち。

 

会うことが少なくても、忘れた頃に忘れないで会う友だち。

 

環境が変わって、疎遠になった友だち。

 

 

*

 

こないだ、だいすけお兄さんのコンサートに、唯一に近しいママ友に教えてもらって、前から5列目のチケットをとることができた。(すごいの!絶ッッッッたい私が手を振ったときに私に向かってだいすけさんうなづいてくれたの!周りに手を振ってるひと私だけだったもん!!!!!)

 

だいすけお兄さんの歌で、なんか子どもたちへのメッセージというよりも、親な大人に向けてるんかなと思うメッセージがところどころあった。

「大人になるってしんどい。でもさ!」みたいなw

 

大人になると、、そこにいたからとか、そこにいて気が合ったからとか、そういう、おそらく子どものときに成り行きとか自然にできていたことを頭でっかちに考えてしまう。

友だちづきあいに駆け引きとかいるの?

余談だけど、最近の高校生は大変そうだよw

(なんかね、GPSで友だちも彼氏もどこにいるのか把握するらしいよ?そうじゃないと不安なんだって。おばちゃんビックリ。怖いわー。)

 

 

*

 

私は心地の良いようにふわふわ流れていたい。

高校の同級生の夫は、私につかみどころがないイメージが強かったと言う。

芯は強情なまでにとどまっている方だと思うけど、心地よい空気が流れるところに漂っていたい。

ずっとずっとそうだったし、今もそうなんだろうと思う。

 

 

わかってくれる子はときどき確実にいて、たとえば、高校の同級生のあやのちゃんが私の近くにいるときは本当に空気のように存在していて心地よく私は漂える。それがなぜだかわかんない。

 

 

 

*

ときどき心地よい空気が流れる人を見つける。

どうしたら友だちになれるのかな?

 

小学校に入学する前のこどもみたいな気持ちで、会える日はワクワクする。

 

 

 

私の写真を好きだと言ってくれる。

それもすごくスマートに言われる。鼻息荒くないというか←

納期もめっちゃ遅いし、どうしようもない私を、心地よい空気で待っててくれる気がしてならない。

いつでもいいからと言ってくれる。

それに甘えたいわけじゃないけど、大好きだ。

使う言葉も、身なりも仕草もとても心地よくて。

 

 

 

 

好きと言われるパワーははかりしれない。

ときどき凶器にさえなるけど、それは今日は置いときますw

 

そういう人との時間をまずは大切にしようと思う。

荒んだ心じゃカメラとも誰ともろくに向き合えない。

心を込めて撮る源かもしれない。

 

 

 

 

 

リア充の向こう

オイスターバー行ったことある?

 

私は結婚したかしないかの7年くらい前に、大学の好きな先輩と行ったことがある。女友だち分類なのかなあ。最近、いろいろあって、会えない。ま、いろいろあるよね。

 

 

で、ひさびさ、あかねちゃんと行った。思いつきで。

思いつきで高級デパートだなんて、田舎の庶民が、バカ言っちゃってる。

リア充っぽい、を追求したいわりに、顎に手を置けばいいと思ってる写メね。

 

 

最近のスマホカメラのフィルターが充実している。

シワもシミもちょちょいのちょいだ。目の大きさだって二重顎だってちょちょいのちょい。

ちょちょいのちょいでリア充が演出できる。

 

 

最近、AndroidからiPhoneにかえたばかりのあかねちゃんは衝撃を隠せないようだ。

やはり、Androidでは体感できない何かがある模様。

 

 

それは革新だ。

カメラももう第四世代だっていうじゃないか。

人間は進化に追いつけないの?追いつこうと必死やない?

 

そもそも第四世代ってどんな世代か知ってる?

 

 

 

とか、言いたいわけじゃなくて。

写真は真実であって真実じゃない。程度のことを言います。

 

そのリア充はリア獣かもよって思わない?(ちがう、。リア充って変換したいのに私のmacがリア獣リア獣って何度も何度もうざいくらいに言ってきて、もうリア獣でいいかなっていう諦めから言ってるのもあって深い意味ないですごめんなさい)

 

表面の真実っぽいことの裏側になにがあるのかまで見てないし、見る必要もないし、べつに見せる必要もない。

でも、私はそっちの方が見たいな。

しかも全員のが見たいわけじゃなくて。お互いに興味あるごく少数の人とそういう話ができればそれでいい。

 

 

写真って、撮ったのに自分のイメージ通りじゃないことがある。

で、イメージに近づける努力をする。

 

で、そのイメージは。真実なのか。

いかに自分の真実に気づくのか。

ふんわりさせたい理由。

パキパキさせたい理由。

メラメラさせたい理由。

 

 

誰かの真実っぽいことに翻弄しない自分が要る。

 

 

 

私はとにかく撮るしかないのか。

撮ってどうなりたいのかもわからない。

 

それは、いいねって誰かに言ってもらいたいだけなのかもしれない。

いいねって自分が思った写真を一緒にいいねって言いたいのかもしれない。

 

それはSNSのいいねじゃ実現できない。

よっぽど、さっきの写メのあかねちゃんとは、写真を一緒にいいねする仲じゃない。好きなものがちょっとずつ違うから。お互い全然分かり合えないこともあるし。

 

オイスターバーでも、私の悪い癖が出て、反省してるのです。

だけど、生牡蠣は美味しかった。気がする。(正確には、オイスターバーの素敵空間から見える両口屋是清の看板でかいなって思ったことのほうが覚えている。)

 

 

 

絵本は親が与えないと子どもは選べない

ブログをちょこちょこ再開しようと思います。

ので、イベントのお知らせもちょいちょい埋もれないように更新してこうと思うのですが、見てもらえてるのかな。見てもらえてない前提ですよ、もう。でも優しい方、おつき合いください。

 

で、タイトルのなんだけど。

 

6月?にうちの子の保育参観の時のネタだから、うるおぼえだし、だいぶ嚙み砕いちゃってるけど、ためになったから、メモ程度だけど、参考にしてね。

 

 

保育参観の後に、講演があって、それが絵本についてだった。

 

 

こどもはいろいろな絵本が好きだ。

 

たとえば、詩的な、一般の親には理解しがたい、おしゃれなww、絵本を好む子もいる。

統計的にいえば、有名な、画家や歌手、スタイリストとか、そういったアーティスティックな人々の子どもの頃に多い。

だから、一概に、親の好みで、それを拒ませる必要はないよね。

 

 

たとえば、ただただ包丁が何かを切る、なんとなくタブーな絵本(公演の時はもっと詳しい説明あったけど忘れちゃったww)が好きな子もいる。

親には理解しがたいけど、それを何度もなんども読んでってせがむし、読めばゲラゲラ笑う。的な子。

それもまた良い。大人になって芸人になった人もいる。

 

 

 

ただ、こどもたちは親に絵本を与えられないと、絵本を選べない。

 

ないものは選びようがない。

親に与えられて初めて絵本を手にする。

好きなジャンルはそれぞれだけど、その好きなジャンルを見つけられるかどうかは、親が与えないとわからない。

 

だから、いろんなジャンルの、いろんな絵本を与えてあげてください。

 

最近ではいろいろ工夫されたものも沢山ある。(割愛)

 

こどもは繰り返しが好きだ。何度も読んでほしいものは、ぜひ、スマホなどをおいて、付き合ってあげてほしい。

 

 

 

めちゃ短くまとめてしまったなww

 

 

ここからは私見だけど、だから、親自身が、ものすごく選り好みしていることに気づいた方がいい。

自分の好きなものを押し付けてる、とまで言ったら、キツいけど。でも、ま、そうでしょww

自分が小さいときそうだったから、とかもわかるよ。でもそれも自分の価値観で、自分じゃない世界はそうとは言い切れない。

 

 

 

だけど、親の私がご機嫌であることがいちばんだ。

だから、私は私の好きなものを選ぶ。

 

だから、こどもも好きなものを選ばせる。できる範囲で。←これ重要と思ってる。できる範囲で

 

私と生きてる以上、私の好みに傾倒するのは仕方ないでしょ。でもそれでも選ばせる場面は選ばせたい。けど、私が苦痛ならやらない方がいい。(と思わない?)

 

 

 

今日なんてお弁当で、朝は地獄みたいな戦争みたいなだった。

しかも、私ったらなんとなく余裕でいつもより遅く起きたしw

なのに準備してないもんだから、バスに乗り遅れそうで、バス乗る寸前に次女の薬を飲ませた。(いま継続投薬中なの。)

 

けど、長女がお弁当が楽しみすぎて長女が大嫌いなトマト入れてほしいって昨日の買い物で選んできたもんだから買いたくなかったけど買ったし、今日入れたし。アンパンマンがいいっていうからいびつなアンパンマンおにぎり入れたよ。唐揚げとちくわときゅうりと焼きそばも。入れるとこなかったけど、無理矢理入れたよ。

 

 

 

昨日義母が来て、食材にしても服にしても、子どもたちが選ぶことを褒めてくれた。

 

 

 

 

ああああ、話がそれてしまっている。

頑張ってるのだ。と言わせてw

 

戻すと、選べる場面なら選ばせてあげたいと思った。

 

だけど、親が選ばせる機会を与えないと、こどもは選べないんだ。

 

 

 

うちの子ふたりを、最強の、アーティストに育てたいわけじゃないけど。

選ぶ、ということをするかしないかで、未来はちがうかもしれない。

 

こどもたちが自分で選んだ人生に、ときに本人んたあが悔めど、それはそれで笑ってるばあさんになりたい。ばあさんは私ね。

 

 

そうか。絵本もなのか。

と思った。なぜなら私は絵本の読み聞かせが嫌いなので、絵本は全く買ってあげたことがなかったのダーーー。

買っても、絵が可愛いやつね。私の好みの。

 

いかんね。

もう、ノージャンルで、与えよう。

図書館とか園の貸し出しでもいいね。選んできてもらおう。(けど、私は図書館や中古が苦手だ。余談ね。これについての克服はまた別ブログにしよう。)

 

 

 

ということでした。全部、私見です。私の価値観のごり押し。

 

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フルサイズかAPS-Cサイズかマイクロフォーサイズか

2017/07/07 転記

 

大切なのはサイズじゃない。

 

 

*****

デジカメをいちばんはじめに手にしたのは長女を産む前で、そのときは撮れてたらよかったし、こんな写真の世界があるなんて想像もしなかった。

 

カメラの勉強を始めたときに写真を教えてくれた先生にいまも感謝しています。

ほんとうに写真が好きだというところにとても惹かれた。

 

保身のためにカメラをしてる人もいるなか、ほんとうにほんとうに写真が好きな人なんだということに惹かれた。

いつかまた会えますように。

 

 

*****

 

今は誰でもカメラマンになれる。

って友だちで写真家のあかねちゃんが言ってた(いきなり名指しでごめんなさいですが。)

 

カメラが進化して、最新カメラの性能がいいから、ある程度カメラ自体のスペックでなんとかしてくれる。

 

だから、今日からカメラマンだって言ったらもうカメラマンだ。

 

 

 

そんな中、ハイアマチュアカメラマンだってゴマンといる。

ナンチャラカンチャラうんちくを並べたって敵わない。

そもそも敵うとか敵わないとかではない。

一定の作風というのはあるのだと思うけれど、そうじゃない。

 

 

 

 

*****

 

でも、一定のスキルだって必要だと思う派です。

それは私を買ってくれてる人のために。

 

でも、それ以上に何を撮ってるのかのほうが重要?

と思うようになった。

 

写真家のせーじさんのいう、写心なのかな?

(またいきなり実名だしてごめんなさい。そして、写心ちがったらごめんなさい。座間味島の宮里清司さんという方でお会いしたことないですが、勝手にファンなんだと思います、皆んなググって!素敵なの!あとでリンク貼ります!)

 

 

 

 

そもそもスキルって何なのかという話。

基準があってそれにクリアできたら何者かになれるとかじゃない。

センスだって必要。センスっていうのは今風のおしゃれなヤツとはまた違う。

感性。

 

 

 

 

*****

 

だから、何を撮るのか、なのかも、と今は思う。

来年になったら変わってるかもしれない。

正直、私はなんで撮ってるのかわからなくなる。

 

 

 

 

だけど、とにかく撮り続けることをしようと思ってる。

だから、いつかやめるんだと思うし、いつまでもやめないでいたいとも思う。

 

 

 

*****

 

いまは、キャプションがなくても伝わる写真を撮りたい。

楽しいが伝わる写真を撮りたい、といった方の写真が、本当に楽しかった。

私の先生は、命を感じる写真が好きだと言っていた。

それぞれに何かがあって、それでいてそれは観手(みて)に咲く。

(花は観手に咲くというのは、能役者の世阿弥の言葉だそうです。

自分の伝えたいものもあるけど、それを観た人が感じたものが伝わったもの、というふうに私は捉えてますが、どうなんでしょうか(唐突に聞いちゃった笑笑))

 

 

 

安いからとか、物理的に距離が近いからとか、手頃だとか、あるけど、それ以上に私になにか感じてもらえてるとしたら、それを大切にしたい。

何かわからないんだけど。

聞いてみよう。

 

 

 

 

*****

そういえば、

いま、カメラマンは第三世代で、もはや第三世代を超えて第四世代の時代に突入している。

と偉大な写真家のハセオさんが言っていて、ハッとした。

(わかる人ー🙋🙋‍♂️?)

だけど、だから、私はどうなのか。

カメラのサイズがどうとかの問題じゃないんだよ。

だけど、勉強しないなんて、いまの私にはありえない。

そういえば、「まだ始まったばかりなんでしょ、失敗もしょっぱいもまだ何もないから!」

的なかんじで、柴田朋子さんにシメてもらいました。

またお願いしますm(._.)m

 

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誰に撮ってもらおうか

決して、私に撮らせてくれっていう話ではないです。

(そういうと逆に撮りたいんじゃん?って誤解を招くことがあるのが嫌だけど。)

 

***

 

 

最近、ずっとずっと。私の写真を好んで撮りに来ていただいているお客さんについて考えています。

なぜ、私のところに来てくれるんだろう。って。

 

近いから?

安いから?

そんなこと言ったら、来ていただいてるのに無礼なこともわかってるけれど。

 

 

 

多少、リーズナブルでいたい。という思いはある。

 

私を好きだって言ってくれる人に、重っ苦しくない程度で、気軽に写真を撮りにきてほしいから。

私だって、誰でも撮りたいってわけでもない。

大好きなお客さんがいて、友だちになりたいくらい。(この歳になって、ともだちの作り方がいまいちわからない。)

その大好きになってしまった人たちを自分の世界のなかで撮ってみたいって思ってるのかもしれない。

 

 

****

 

私が写真をやってる理由に、素晴らしいスローガン的なものは、

 

ない。

 

それが、とても不安なのかもしれない。

こんなんでいいんだろうか、と思う。

 

かつて、写真を見返したときの、胸が熱くなる気持ち(いわゆるムネアツ)の私自身の体験を、私の被写体(お客さん含む)の方々にも提供してみたい、というスローガン的なものもあったんだけど、今はそんな大それたことをよく言ったものだと思ってる。

 

写真を手にしたときの気持ちや将来見返したときの気持ちは、私がどうこうするものでもなく、被写体(お客さん含む)の方自身が思うことだし。

 

 

 

 

*****

 

自分の写真をどうしようもないくらいに、嫌だと思う日がある。

その反対に、どうしようもなく好きな日もある。

 

写真をどんどん好きになってって、どんどん嫌いになってく。

大好きなカメラマンさんの写真を見ては、ときめくし、なんとも言えないうっとりしたため息が出る。

写真にプロアマ関係ないな、とつくづく思う。

 

 

だから、夏場の今は、ガングロだ。

紫外線対策しても仕切れないほどに畑の中で撮るしか、できない。

(花と人のポートレート(人物撮影)が見るのも撮るのも異様に好きなのです。)

それを肯定したい。

だけど、それは正解というわけでもない。

 

 

 

 

儲かり話で撮る人になった人は、真剣に向き合ったほうがいい。

小手先でどうにかしようとしないほうがいい。

 

買う側の人は、大して大きな違いに気がつかない。

カメラの画素が良くて、前ボケがあったら、いい写真とは限らない。

 

 

スマホだって悪くない。コンデジでも一眼でもとにかく画質ってわけじゃない。

わが子を撮るママ自身のほうが感動する瞬間をとらえてることが多いんだってことを、なんかの形にしたい。

 

 

その上で、誰が写真を撮るのか。誰に撮ってもらうのか。だと、つくづく思う。

私はまだプロではない。

大好きな人を写す代わりができたらそれで幸せ。それが幸せ。

いつも撮らせてくれてありがとうございます。

 

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