山北になれたこと

自分の結婚観についてなので、かなり私の主観です。

日記だから主観なのは仕方がない。

自伝的な武勇伝でもないけど、それに近い。興味あれば読んでね。読んでる人いないと思うけど(ネガティブ)。

 

私は、気づいたときから、跡継ぎだって言われてた。

というのも2歳のときに両親が離婚して、大阪の母方の実家に引っ越しました。

そしたら、ちょうど同じ頃に母のお兄ちゃん(伯父?)が自営していてお客さんを助けるために一緒に亡くなったそうで。だから沖縄にたくさん行ったのは旅行だと思ってたけど、埋葬だった。だから、海には近づいちゃいけないと育った。のは余談。

2歳と1歳の私と妹のお世話で、祖父母は、伯父の死の悲しみに暮れる間もなかったとよく聞いたし、よりいっそう孫が宝物みたいになったんだと思う。

 

それから、私と妹は顔が全く似ていない。

よく世の中のひとが言う似てないレベルは似てるんだと思うくらいに、似ていない。

親戚より似てないんだもん。あ、また余談だった。

 

 

私が母親にクリソツだった。

だから、ものすごくとてつもなく差をつけたように、私は可愛がられた。

だから、祖父母にとって私が跡継ぎになることは希望だったんだと思う。

というのも、ある城の姫の家系だそうで。(知らんがなでしょう?それなのにすんなり姫の末裔でもなくて、おじいちゃんの人生はすごい壮絶で、夫には、どっかのドラマみたいだと言われるくらいで難しい複雑な家系で。余談が過ぎる。)

 

だから、両親が再婚して、思春期に2歳までいた岐阜に戻って来ることになるんだけど、その数年後、大阪の祖父母は大阪の家を売り払ってこちらに越してきてくれた。

それからあるときから、私は看護師になるんだと決められていた。当時手に職ってすごい大事だったのかな。母みたいに一人で生きることになっても(離婚前提なのw)一人で生きれるように。とにかくそれで20年は過ごした。これで大丈夫的な。

 

 

 

それから大学も決まっていて、その時反抗期で両親祖父母に反抗したのが、専門単科大学じゃなくて総合大学にしたことくらいだった。それでも専攻は看護にした。(それしか考えて過ごしてないから他の選択肢は元よりなかった。)

 

看護師の資格を取れば看護師になれると思っていたけど、そんなの取ってからが重要でしょう?

私には叶わなかった。今でも耳にナースコールが残っている。

 

 

そんな時、実家に今の夫と挨拶しに行ったときに、うっかり勢いで「結婚します」的なのを間違えて夫が言っちゃって、その数ヶ月後には婚姻届出していました。

義両親はどんな気持ちなんだろう。

とにかくそのあと、祖父母に2年間会えなくなります。いわゆる絶縁。

よくわからないけれど、私は山北になれてつらくて嬉しかった。

 

 

私は普通のお嫁さんになりたかった。言わなかったけど。

私は夫婦別姓なんて嫌だと思っていた。言わなかったけど。

私が桝谷(母方)で、旦那さんになる人は旦那さんの苗字のままなのがいいんじゃないかという代替案が嫌だった。(両親が再婚してから高校生まで父方の田中だった。大学から戸籍上は母親と姉妹なわけです。)

ともかが桝谷になるのが再婚条件だったとかも抱えきれなかったんだと思う。

お婿さんとるほどのことじゃないと思った、その姓を残す意味を若くて理解できなかったんだと思う。

 

 

山北姓になったのは人生でいちばんの私の反抗だということです。

 

 

だから、やまきたともかです、と今言ってることは、地に足がついた感覚です。

辛くても痛くても嬉しくても楽しくても。責任は私にある。

跡を継いだ人でも責任持って誰かのせいにしたりしないで地に足ついて生きている人はいる。でもそれができないからってダメじゃないと言い聞かせてる。いつか後悔したとしても。

そして、結局、普通のお嫁さんになんてなれてない。

こりゃ、結婚観の話じゃなかったな。

 

やまきたともか